築百五十年余、
綿々と綴られた
建物の物語
時を超えて今、
新たに生まれ変わった古民家は、
明治三年(一八七〇年)、
「飛鳥坐(あすかにいます)神社」の
参道に面した地に
明日香村にある
ほとんどの民家と同じように
農家住宅として建てられました。
参道沿いの主屋は、
奈良盆地に広く見られる町家建築、
背後の離れには、
農家ならではの
牛小屋や納屋がありました。
「あすかの建物がたり」では
築百五十年余年、この建物に刻まれた
さまざまな記憶をご紹介していきます。
※この建物は、「国の登録有形文化財(建造物)」です。
旧大鳥家住宅
(ブランシエラ ヴィラ 明日香)
1870年に建てられた「旧大鳥家住宅」(ブランシエラ ヴィラ 明日香)は、国土の歴史的景観に寄与している建物として、主屋と離れの2件が、2022年2月、国の登録有形文化財に登録されました。約150年前の切妻造の瓦屋根に煙出し、軒裏を漆喰で塗込め、木瓜形の虫籠窓の外観や、通り土間に整形四間取りの間取りをそのままにリノベーションしたブランシエラ ヴィラ 明日香。その大切に残された建物には、永き年月の記憶が刻まれています。
内部篇、外構篇
「茜の間」内部篇
町家と聞くと京町家を思い浮かべると思いますが、広義には農村や山村などに対して町場、つまり市街地に建つ民家のことです。町場という立地により、間口が狭く奥行きの深い長方形の敷地に建ち、商いをしていて、明日香村では岡やここ飛鳥では、農家と兼業していました。このような町家を在地型町家といい、農家住宅の形式を持つ町家です。
畳ノマである居室部分が田の字型になっていることを四間取り、その四間の角がきれいに合い、田の字になっている場合、整形四間取といい、近畿地方の農家住宅によくみられる間取りの形です。居室にもそれぞれ名称があり、土間及び通り側からミセノマ、オクミセ、板敷きがある居室はダイドコロ、床の間がある居室はザシキと呼ばれていました。
ザシキの床よりも一段高くし、掛け軸や季節の花などを飾るところで、江戸時代は、庄屋など家主よりも身分の高い客を迎えるための客間に設けられ、明治期以降に庶民の住宅にも造られるようになりました。床柱は床の間を構成する部材の中でも最も重要で、吉野杉の磨き丸太が使われ、年月が経った美しい木肌が印象的です。足元は畳にはみ出さないよう丸太の反りを削りますが、この部分を筍面と呼び、木目が奇数になるようにするのが定法です。
屋根裏のツシに上がるために梯子を使いました。普段使わない時は、梯子が邪魔にならないように足元を玄関戸上の受け材に掛けて上げておきます。ツシへはもう上がることができませんが、写真で以前の様子をうかがうことができます。こちらのツシには、薪や稲わらなどの焚き物を保管していました。
オクミセの収納部からツシに上がるために箱階段が使われていました。段の下部が引き出しや戸棚になり、収納を兼ねた階段のことを箱階段といいます。この箱階段の上に3段の小さな梯子が固定され、ツシに上がることができ、ツシには箪笥や什器など生活用品を置いていました。今は置き家具として客室の顔となっています。
上がり口の杉の床板にナグリ加工を施しています。手斧と書いて「ちょうな」と呼ばれる道具を用いて、平らな板の面を、はつり取って凹面を作り、連続すると六角形の凹凸ができます。手斧の起源は縄文時代まで溯り、ナグリは木材を製材する技で、現在も生き続けている木工技術であると言えます。いにしえの大工に思いを馳せ、足触りをお楽しみ下さい。
「山吹の間」内部篇
整形四間取の農家住宅で、在地型町家である「茜の間」は、家族が居住するメインの建物で、「主屋」「母屋」と書いてオモヤといいます。農家住宅の場合、オモヤの背面に、必ず納屋があり、農器具などを格納してました。ここの納屋には玄米の保管庫もありました。
玄米庫に使われていた落とし板を客室側に復元し、一部は階段の蹴込板に再利用しています。柱の内側に溝を付け、上からはめ込む板を落とし板といい、場所と落とし込む順番を間違えないように、墨で文字が書かれています。下から二番目の落とし板が、他の板と異なっているのがわかりますね。小さな扉から、玄米を取り出していました。
建てられた当初は、別座敷と呼ばれていました。大鳥家では隠居と称していたようで、その名の通り、主屋と別に設けられた隠居用のザシキです。右に床の間があり、床柱には吉野杉の磨き丸太が使われています。壁は聚楽塗で京浅黄土、中央のクロゼットには京錆べんがら糊土を用いて、部屋のアクセントにしています。
外構篇
飛鳥といえば、酒船石や猿石などの石造物が有名ですが、庭の石は全て飛鳥の石が用いられています。花崗岩で、黒玉斑点が多く、白筋を持つという特徴があります。ひとつひとつの石の形もいろんな表情を持っています。飛鳥時代から連綿と繋がっていると思うと歴史を感じさせます。
棗(なつめ)とは茶の湯で使用する茶入れのことで、それに似た形の手水鉢を棗型手水鉢といいます。これも飛鳥の石で造られています。手水鉢とは、神社や寺にあるように、神前、仏前で身を清めるための水が溜められている器のことですが、茶の湯に取り入れられ、庭に持ち込まれるようになりました。これは別座敷の横に置かれていましたが、お客様をお迎えしています。
大鳥家にあった米つき臼と杵(きね)をかける石で、地べたに埋めた石臼の中に玄米を入れて、杵をシーソーのようにかけ、杵の端を足で踏んで体重をかけて杵を上げ、落とて精米するという昔の農具です。こちらも飛鳥の石でできており、農家住宅を感じていただけるオブジェとしてお見せしています。
茜の間の庭の池に、挽き臼と捏ね鉢を配しています。どちらも飛鳥の石で作られた昔の生活道具です。挽き臼は、上臼から大豆などの穀物を落とし回転させることで挽いて粉にすることができます。捏ね鉢は挽いた粉と水を入れて捏ねるための鉢で、これらの道具があると手打ち蕎麦が作れますね。いずれも今は使われなくなり、庭の一部となりました。
庭は一から作庭しましたが、主屋である茜の間、離れである山吹の間のザシキ前にそれぞれあったサツキツツジは元のままで古木のようです。奈良県南部の民家の庭には、自然の樹形でザシキから見ると開口部の端から大きく張り出したサツキツツジに特徴があります。
庭の池の水は井戸水です。敷地内に昔からある井戸は生活用水として使われてきたもので、ここでは、エアコンと床暖房、茜の間の浴槽の湯に活用しています。井戸水の温度は夏も冬も18℃と一定温度。その特徴を利用し、エアコンと床暖房の冷媒として活用し、その後、タンクで温度を自然に調整し、茜の間の庭の池に流し、ミズミチを通って山吹の間の池を通り、水路から飛鳥川に流れていきます。